この度の地震により被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます
老若男女問わず、いかにも頑丈そうな大きな家も木造の小さな家もすべて、被災している状況を報道で見ていると、その不条理さには言葉が出ません。人間の努力なんて自然の前では本当に小さなものなんだと改めて思い知らされました。
一人でも多くの命が助かることを祈るばかりです。
ただ、たとえ生き残っても、家族を亡くしたなかでこれから生きていかなければならない方達の悲しみや苦しみは、筆舌に尽くしがたいものだと思います。
阪神大震災の時の朝日新聞の天声人語を思い出したのでちょっと長いですが紹介します。
【1995年12月31日天声人語】
「新年は死んだ人をしのぶためにある
心の優しいものが先に死ぬのはなぜか、
おのれだけが生き残っているのはなぜかと問うためだ。
おおみそかに、いつもこの詩を思い出す。中桐雅夫の『きのうはあすに』である。
詩を思い出し、阪神大震災の記録を、また読み返してみる。
これまでにわかっているだけで、死者は6308人におよぶ。
夫も妻も、下敷きになった。手を握りあって、助けを待った。夫の声が、聞こえた。
「おれは駄目かもしれへん。子どもたちを頼む−」
「いい人がいたら一緒になれよ−。三途の川を渡るなよ−」
救助されたが、夫は死亡。41才。
がれきの山の中から、3才の娘の泣きじゃくる声がした。かぶさるように、
「パパがもうすぐ助けるよ」
と、33才の父親の声がした。救助活動をしていた人が、娘を抱きかかえている父親の姿
を、すき聞から確認した。やがて父親の声が絶えた。
娘も、病院に運ばれる途中、亡くなった。
最初の揺れが去ったあと、いくつもの地区が、火に包まれた。
73才の父親が、下半身をがれきに挟まれていた。
子どもたちが両手を思い切り引っ張った。炎が迫った。
父親は、おだやかに言った。
「もう行け、もう行け」
かわいがっていた孫を失った81才の女性は、以来、持病の薬をのまなくなった。孫
の葬儀後、急速に衰弱した。
「足手まといになって悪いな」
ともらした。地震のあと、半月足らずで、孫のあとを追った。
だれもが、心優しい人たちだった。
果てしない記録を読み、そして亡くなった人たちのために自分はなにをしたか、
これから自分になにができるか、と問うてみる。
詩は、こう結ばれる。
きょうはきのうに、きのうはあすになる
どんな小さなものでも、眼の前のものを愛したくなる・・・
でなければ、どうしてこの1年を生きてゆける?」